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東京地方裁判所 昭和41年(ワ)7571号 判決

原告

大谷幸雄

ほか一名

被告

日本通運株式会社

主文

1  被告は原告大谷幸雄に対し、一、六七〇、〇〇〇円およびうち一、四七〇、〇〇〇円に対する昭和四一年四月一四日から、うち二〇〇、〇〇〇円に対する本判決言渡の日からいずれも支払ずみに至るまで各年五分の割合による金銭を支払え。

2  原告大谷幸雄のその余の請求および原告大谷ヨシ子の請求を棄却する。

3  訴訟費用はこれを三分し、その一を被告の負担とし、その余を原告らの連帯負担とする。

4  この判決の第一項は仮りに執行することができる。

事実

第一、当事者の求める裁判

原告ら――「被告は原告大谷幸雄(以下原告大谷という)に対し、五、二六六、九九四円(五、三六六、九九四円とあるは明白な違算に基づく誤記と認める。)およびうち四、七六六、九九四円に対する昭和四一年四月一四日から、うち五〇〇、〇〇〇円に対する本判決言渡日からいずれも支払ずみに至るまで各年五分の割合による金銭を、原告大谷ヨシ子に対し、二〇〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和四一年四月一四日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金銭をそれぞれ支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決および仮執行の宣言。

被告――「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決。

第二、原告らの請求原因

一、交通事故の発生と原告大谷の受傷

昭和四〇年四月一三日午前一〇時三〇分頃、横浜市鶴見区鶴見町八二五番地先国電鶴見駅引込線七番線附近において、訴外藤原実がシヨベルローダー(登録番号神九す〇五七七号、以下被告車という。)を運転中、折柄歩行中の原告大谷を轢過し、よつて左下腿両踝骨骨折、左大腿挫傷兼血腫、左第五中足骨骨折、右手挫傷、下口唇挫創、左腹部挫傷兼擦過傷、歯牙四本欠損等の傷害を与えた。

二、被告の地位

被告は被告車を所有し、これをその被用者藤原に運転させ、もつて自己のため被告車を運行の用に供していた者である。

三、損害

右事故により原告らの蒙つた損害は次のとおりである。

(一)  逸失利益

原告大谷は本件事故による受傷加療のため、事故発生当日から昭和四一年五月四日まで一年余入・通院し(昭和四〇年六月二二日から昭和四一年五月四日までは隔日に通院加療、なお右通院には当初松葉杖を使用していたが、昭和四〇月八月頃からは左肩関節患部の症状が悪化し松葉杖も使用できなくなつたので竹棒を突いて通院)た結果、その頃外傷は概ね治癒したものの、左手指、左肩関節部、左足関節部に順次いわゆる後遺障害等級一一級七号、一四級九号、一二級七号、総合すると一〇級相当の後遺障害を残すに至つた。すなわち左手中指環指小指の屈折ができなくなり、左腕を挙上することができず、左肩前面に絶えず圧痛を覚え、さらに左足関節の屈折も不自由で、長時間の歩行や坂の登降は困難であり、患部に麻痺感および疼痛を生ずるに至つたものである。

ところで原告大谷は昭和五年四月三日生まれ(本件事故発生当時三五才)の男子で、かねて鳶職、荷役人夫等の肉体重労働者として稼働し、当時訴外楠原興運株会社に勤務し、月額平均四七、四二六円(年収五六九、一一二円)の給与を得ていたところ、受傷のため事故直後から約一年間は全く就労できなかつたばかりか、同社を退職するのやむなきに至り、さらに上記後遺障害のため重労働に就くことができなくなつたが、さしたる学歴・能力・経験もないところから、事務職種にも適さず、失職していたが、その労働能力喪失率は、少くとも四五パーセントである。(なお原告大谷は昭和四一年一〇月頃から住所地近くのチエーン・ピン製造工場松倉製作所に日給八〇〇円で就労しているが、それは右手で針金を機械に押し込むだけの単純な作業にすぎない。)かように原告大谷は前記後遺障害のため、労働により得べかりし利益を失つたわけであるが、(事故直後から約一年間にわたつて全く就労できず、この間の逸失利益相当分は後記のとおり被告から弁済をうけたので)事故後一年を経過し三六才に達した昭和四一年四月一四日(以下基準日という。)から六〇才に達する昭和六五年四月一三日までの二四年間に、毎年五六九、一一二円の一〇〇分の四五を失つた筋合であるから、これを基準日に一時に支払を求める現価を算出すると、三、八六六、九九四円(三、九六六、九九四円とあるは、明白な違算による誤記と認める、その算式は(年収)569,112円×(法定利率による単利年金現金係数)15.49×0.45=3,866,994円)である。

(二)  慰藉料

(1) 原告大谷の分九〇〇、〇〇〇円

前記のとおり原告大谷は長期にわたる加療にも拘らず不具者となり、体力を失つたものでこれは労働者にとつて企業における破産に等しく生活上も窮境に陥り、現在まで多大の肉体的精神的苦痛を蒙り、なお将来にわたる不安と苦痛も甚大であるから、これを慰藉するには、九〇〇、〇〇〇円を要する。

(2) 原告大谷ヨシ子の分二〇〇、〇〇〇円

結局不具者となつた夫原告大谷の苦痛を生涯にわたつてわかち、ともに味分わなければならないので、これを慰藉するには、二〇〇、〇〇〇円が相当である。

(三)  弁護士費用

原告大谷から本件交通事故による損害の賠償の処理を受任した原告ら代理人弁護士が、昭和四二年八月東京弁護士会において被告会社顧問弁護士と交渉したところ、被告は総額三〇〇、〇〇〇円の賠償額を主張して譲らなかつたので、原告大谷は、原告ら代理人らに本訴の提起と追行方を委任し、その手数料として五〇〇、〇〇〇円を支払うことを約した。

四、損害の一部弁済

原告大谷は被告から左のとおり一部弁済をうけた。

(1)  医療費 二二六、八八六円

(2)  附添費 三五、九〇三円

(3)  通院費 五三、九七〇円

(4)  休業補償費 五七〇、〇〇〇円

計 八八六、七五九円

五、よつて被告に対し、原告大谷は前記(一)、二の(1)、(三)の合計五、二六六、九九四円およびうち弁護士費用を除く合計四、七六六、九九四円に対する本件事故発生後である基準日(昭和四一年四月一四日)から、うち弁護士費用五〇〇、〇〇〇円に対する本判決言渡日から、いずれも支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を、原告大谷ヨシ子は前記(二)の(2)の二〇〇、〇〇〇円およびこれに対する右基準日から支払ずみに至るまで右同率の遅延損害金の各支払を求める。

第三、被告の答弁および抗弁

一、答弁

(一)  請求原因一の事実は傷害の内容を除き認める。

(二)  同二、四の事実はいずれも認める。

(三)  同三の事実中、原告大谷が重傷をうけ、労働能力喪失率四五パーセント以上の後遺障害を残したとの事実は否認する。原告大谷は、本件事故前から左足が不自由であつたし、二、三〇キログラム程度の重量物の荷役作業等をしていたにすぎないところ、治療をうけていた訴外橋爪病院を退院する頃には、マツサージを施せばたりる程度に治癒していたものであり、また左手については訴外名倉病院における加療の結果、殆んど治癒し、また左胸鎖関節脱臼自体機能的には格別支障を来たすものではなく、上肢麻痺、左下腿内踝骨骨折、左下腿筋萎縮症も完治し、常人に比して遜色のない機能を回復し、後遺障害を留めなくなつたのであるから、労働能力の喪失はない筈である。仮りにその幾許かの喪失があり、または患部症状が悪化したとすれば、その原因は、原告大谷自身が完治への意欲に欠け、適切な運動等を怠つたためである。その余の事実については不知。なお原告大谷は本訴提起前、その正常な判断力のもとでの自由意思にもとづき、慰藉料として三〇〇、〇〇〇円の支払を被告に請求したものであるが、慰藉料は本人の精神的苦痛を金銭に評価して補償するものであるから評価にあたつては、本人の意思を尊重すべく、前記事実は本訴における慰藉料の算定に際しても考慮されるべきである。

二、抗弁

(一)  免責の主張

本件事故現場は、国鉄鶴見貨物駅構内で、南北に数条の引込線が敷置され、当時その七番線には、貨車数両が連結されており、その左側には並行して停車中のトラツクがあつたところ、訴外藤原は該トラツクと貨車列との間を被告車を運転して反覆移動し、空缶の積降し作業に従事していたものであるが、被告車には天蓋がなく、車台上に運転席が設けられているので、体を後方に捻れば容易に後方を見渡せる構造だつたので、同人が後方を振り向き、その安全を確認しながら、時速五キロメートルで後退進行し、北から二両目の貨車の左側附近に達し、停車寸前、突如被告車から約一・五メートルの距離にあつた一両目の貨車と二両目の貨車との連結部分から、原告大谷がふらふらと小走りに接近したため、藤原は急制動の措置を講ずる間もなく、被告車の左後輪が原告大谷の左足に触れ、車軸にズボンを捲きつけたまま約一メートル後退進行して停車したものである。

(1) 原告大谷の過失

原告大谷は過去一年半の間本件事故現場附近で構内作業に従事し、連結部を通行することはきわめて危険であること、およびその通行が禁止されていることならびに構内はフオークリフト等の往来が繁く危険であることを知悉しており、なお原告大谷は従前から左足が不自由で跛行し動作も緩漫であつたのであるから、厳に連結部の通行を避けるべく、これを通行する場合にも充分注意を払い、通行後構内に出るときは、一旦佇立して構内の車両等の動静に注意を払い、その安全を確認すべきであるのに、これを怠り連結部を通行し、その惰性で不安定な姿勢の儘、被告車の進路にとび出したものであつて、本件事故の原因は原告大谷の重大な過失にある。

(2) 被告の無過失

他方藤原は前記のとおり、後方を注視しながら、低速で後退し、停車寸前、その進路附近には自車の通過を見送つている訴外梅沢定男のほか人影をみなかつたし、連結部の通行は厳に禁止されているので、そこから突如とび出す人はないものと信じていたところ、僅か一・五メートル離れた地点から原告大谷がとび出し本件事故に至つたもので、本件事故発生につき同人には過失がない。

(3) 被告車の構造上の無欠陥・機能の無障害

被告車は定期に車検をうけ、かつ被告は毎朝仕業点検を行つており、本件事故当日も点検をなしたもので、被告車には構造上・機能上なんらの欠陥も障害もなかつた。

(二)  過失相殺

かりに本件事故発生につき被告に過失があり、損害賠償責任があるとしても、前記のとおり原告にも重大な過失がある。

第四、右に対する原告らの答弁

被告主張の抗弁事実をいずれも否認する。事故発生の原因は、藤原の後方確認義務違反に存する。すなわち原告大谷は本件事故発生の二〇分位前から、七番線の貨車列のうち、北から四番目の貨車内で、訴外加賀真津雄と共に、煉瓦をフオークリフト車に載せる板通称パレーに積む作業をしていたところ、積みおわつたので、これを運搬すべき車両を捜すうち、貨車列と直角に東西に停車中のトラツクの後部西方附近に一台のフオークリフトを発見したものの、運転者が乗車していなかつたため、北方にあつた被告会社事務所前に停車中のフオークリフトを呼ぶため、前記貨車から出、北にむけて歩行中、後方から被告車に左半身を轢過されたものであつて、本件事故は、専ら藤原が後方の安全確認を怠り、時速五キロメートルを超える相当の速度で漫然進行した過失によるものである。

第五、証拠 〔略〕

理由

第一、責任原因

請求原因一の事実(交通事故の発生と原告大谷の受傷)は、傷害の内容を除き当事者間に争なく、〔証拠略〕を総合すると、原告大谷は受傷直後横浜市鶴見区内の橋爪病院に収容され、外科医橋爪廉三から下口唇挫創、右肩・左手挫傷、左腹部挫傷兼擦過傷、左下腿両踝骨骨折、左大腿挫傷兼血腫、左第五中足骨骨折と診断され、当日から五月二一日まで入院し、その後六月二二日まで毎日通院して加療した結果、同医師からはマツサージおよび湿布等の方法による加療を要するにすぎない程度に外傷は治癒したものと診断されるに至つたが、原告大谷自身は左肩部になお痛みを覚え、左足の歩行も不自由なので、さらに東京都大田区山王在の整形外科医名倉順三を訪れたところ、同医師から左下腿内踝骨・左第五蹠骨にいずれも陳旧性の骨折を確認されたほか、左肩部には胸鎖関節脱臼の傷害をも受けていたことをあらたに指摘され、また上肢の麻痺と左下腿筋萎縮症を現認されたため、同日から昭和四一年五月四日まで同医師のもとに概ね隔日毎通院加療した末、当初萎縮した足では立てなかつたが、後には立ち、行けるようになり、また八〇度程度しか挙上できなかつた腕も、水平よりやや上まで挙げうるようになり、第一指と第二指が自由につくだけだつた左手指も、温湯にひたしてマツサージ後は各指ともつくようになつたが、昭和四一年五月頃関東労災病院所属整形外科医鈴木勝己からは、左手指屈曲拘縮、左足関節軽度腫脹(順次に後遺障害等級一一級七号、一二級七号、総合して一〇級。なお左肩関節前面部に圧痛を認めるも、運動制限を主たる判定要素とする後遺障害等級へのあてはめは困難であつた。)の後遺障害を留めるものと判定され、その後同年一一月頃に至つて、横浜市立大学病院所属整形外科医岩下からも左指中数指に関節拘縮、循環障害、知覚鈍麻等の圧挫傷後遺症(身体障害者福祉表別表第五級相当)をのこすものと判定されたこと、なおこの間同年夏頃、本件事故により歯牙四本に動揺を来していたものを歯科医青木百合子のもとで金冠装着施術により治療したことが認められる。そして請求原因二の事実(被告車の運行供用者たる被告の地位)は当事者に争がない。右各事実によれば被告は原告大谷の人身事故による損害賠償責任を負担しなければならない。被告はいわゆる免責の抗弁を主張するが、本件事故発生につき被告の被用者訴外藤原に被告車の運転につき過失がなかつたと認めるにたりる証拠はなく、却つて〔証拠略〕を総合すると次のとおり認められる。

すなわち本件事故現場は、国鉄鶴見貨物駅構内の概南北に設置された引込線通称七番線と六番線の間のコンクリート舗装路(両線は南端の連結地点から北方に次第に広開しながら各約一二六メートル伸張し、北端では二五、六メートルの間隔を有する。)上で、七番線の東側には諸詰所が、両線の北方には被告会社事務所がそれぞれ設けられ、本件事故当日には七番線には貨車数台を連結した列車が入線し、この貨車列の西側にはこれと平行して被告会社のトラツクが停車しており、これらの貨車の内外で男女の作業員が荷物の積降し作業をしたり、被告の被用者らが特殊車を運転して荷の運搬や積降し作業に従事中であつたところ、原告大谷は午前一〇時過頃から該貨車列の北から数両目の貨車内で、被告の仕事の下請業者訴外楠原興運の被用者で上司にあたる加賀真津雄の指揮をうけ、同人と共に煉瓦をパレーに積む作業をしていたが、二〇分位してこの作業を終えたので、該パレーを運搬する車両を捜そうと車外に出、一両目と二両目の貨車の連結部を通つて七番線の西側に出、北に向つて歩き出した際、これより先、被告車を運転して北方から直進して前記トラツクに接近し、その積荷を積んだうえ左折西進し、一旦停車後、東進直進して貨車に荷をおろしたのち、今度は右折後退北進して貨車列の北端附近に赴いて停車し、次いで発進直進して再び前記トラツクに接近する方法(その進路は四転する合計四過程からなるもの。なお左・右折の方向は発進地を基点とするものとする。)により反覆移動して、トラツクの積荷を貨車内に積みかえる作業に従事していた右藤原が、折柄第三過程に移り、被告車(幅一・九メートル、長さ約四・七メートル、高さ約一・三メートル、重量約五・八トンで、天蓋はなく、車台に運転席が設けられており、屡後退進行する操法をも用いる特殊車でありながら、後写鏡等の後方確認のための設備はなく、後退進行する場合には運転者が身体を捻つて、直接後方を視認しなければならない構造のもの)の爪を一・二メートル位の高さにあげたまま時速数キロメートルで後退進行中、原告大谷の左後身に接触し、ズボンが車軸に絡み、原告はその場に転倒したこと、一方藤原は第三過程に移行前、一旦後方の安全を確認した際、進路前方に人影をみなかつたので、そのまま発進したものの、その後は後方の安全を確認することなく、被告車の爪を車高とほぼ同じ高さにあげながら漫然進行したところ、原告大谷を発見したのは、その転倒直前で、附近に佇立していた訴外梅沢の危険を告げる叫声によるものであり、しかも停車にあたつても急制動を用いることなく、普通程度に制動器を作動し、接触後約一メートル進行して停車したことが認められる。この認定に反する証人加賀真津雄の証言部分および原告大谷本人の供述部分(原告大谷が連結部を通行したものではないとの点および同原告が被告車等車両の交通の安全を確認したのち、北方に歩き出したとの点)は、証人中沢勇、同梅沢定男の各証言に照らし、また証人中沢勇、同梅沢定男、同藤原実の各証言部分(原告大谷が連結部分を通行後よろめいたとの点、もしくは右通行直後被告車と接触したとの点ならびに藤原が絶えず後方を確認していたとの点)は〔証拠略〕に照らしていずれもにわかに信用できない。なお前掲証拠によれば、いわゆる連結部の通行は禁止されていたが、構内作業員の中には右禁止にもかかわらず、これが通行をなす者があり、本件事故当日も現に他に連結器部分を通行したものもあるのであつて、構内作業員が連結部を通行することは藤原も予測していたものと推認される。

右各事実によれば、被告の被用者藤原は、被告車を運転するにあたつて、絶えず進路前方の安全を確認しながら運転すべきであるのに、これを怠り、しかも被告車の爪を車の高さと同程度にあげたため、進路前方の視界を遮蔽するような方法で後退進行したもので、本件事故発生につき過失がある。(なお前示のとおり被告車が構造上後退に際して進路前方の安全確認がやや不十分になることがあるとの点は、その使用者のために、自動車損害賠償保障法三条但書後段所定の主張または構造・機能に関する不可抗力等の弁疏を許すものではない。蓋し後写鏡の取付け等簡単な安全上の設備によつて右欠点を補うことを得るからである。)尤も前掲証拠によれば、本件事故現場は被告車の如き構造上後退にあたつては進路前方の安全確認に特別の配意を要する特殊車が、低速ながら頻繁に往来しており、その後退運転者の前方の安全確認は、身体を捻つてするようなやや不自然な姿勢と方法とによるもので、死角を生ずる余地もないわけではないし、不用意にその前面に進出するときは事故発生の危険性が高く、しかも運転者に対してのみ一般路上におけるが如き周到細心な注意を要求するときは、その作業能率を著しく低下させるところ、構内における歩行者の大部分は、これら車両の仕事を利用し、または運転者と相互に協力して作業をしているものであるから、一般道路における如く漫然歩行すべきではなく、重量車が低速でコンクリート路上を移動する際発するかなり高音の音響等により、たやすく特殊車両の動静を察知しうるのであるから、その動静に適切な注意を払い、事故の発生を自ら防避すると共に、車両の運転者の交通安全上の注意力を幾分なりとも軽減させ、もつて協業の能率低下を防ぐべく、しかも原告大谷はかつて柔道練習の際、足をいため本件事故前から左足を引きずり気味に歩行し、その動作はやや緩漫であつて、低速車両と雖も至近距離で出会つた場合、避譲の機を失しないものとは保し難いのに、原告大谷は前示のとおり、連結部を通行後、被告車等の動静に配意することなく、漫然背をむけて歩行中、本件事故にあつたものであるから、事故発生につき同原告にも過失があつたものといわなくてはならない。そして原告大谷の過失と前記藤原の過失とを対比すると、概ね二対八の割合であると認める。

第二、損害賠償額の算定

(一)  逸失利益

〔証拠略〕によれば、原告大谷が昭和五年四月三日生まれ(本件事故発生当時三五才)の男子で、かねて鳶職・荷役人夫等の肉体労働に従事していたもので事務職歴なく、事故発生当時も訴外楠原興運株式会社に勤務し、月額平均四七、四二六円(年額五六九、一一二円)を得ていたことが認められ、本件事故にあわなければ原告大谷は引続き右会社において稼働し、または他の同種職場に就労し、概ね六〇才に達する昭和六五年頃までの二五年間にわたり、右同額の年収を挙げうるものと推認されるところ、前記第一前段認定のとおり、本件事故による受傷のため、約一年間にわたつて就労できなかつたばかりか、右会社から職を失い、数箇所の就職先にいずれも容れられなかつたが、前掲証拠によれば、昭和四一年一〇月頃に至つて住所地の近くにあるチエーン・ピン製造工場訴外松倉製作所に軽労働者として就労し日給八〇〇円を得ていることが認められる。右事実によれば、原告大谷が本件事故発生後一年間にわたり、稼働収入を全く失い凡そ五七〇、〇〇〇円の損害を蒙つたことは明らかである。しかし右時期以降の原告大谷の収入の減少については、前記軽労働による収入との差額は月額二七、〇〇〇円に達し、また前記関東労災病院所属医師鈴木勝己の判定によれば、後遺障害等級一〇級に該当するものとされ、いずれも将来における稼働収入の大幅な減少を一応推認させるものの如くであるが、他方〔証拠略〕によれば、原告の受傷の程度はかなり重篤であつて、明らかにいわゆる後遺障害を留めるものであるものの、いわゆるリハビリテーシヨンに関する本人の意欲と努力とにより右後遺障害は漸減するものと推認されるし、また未だ壮年期にある受傷者は、仮りにその後遺障害が固定化するに至つた場合にも、なおその障害に適合した職種を選択し、時には健康時の稼働収入に近い収入を挙げうる等、いわゆる環境に対する順応性を有するものであることは経験則というべく、原告大谷についてもその将来にわたる収入の減少率(いうまでもなくここで問題とすべきは、労働能力の喪失自体ではなく、具体的な収入減少である)は、いわゆる基準日から五年間につき従前年収のほぼ三割にあたる年額一七万円程度に、その後の五年間については二割強にあたる年額一二万円程度にとどまり、事故発生後概ね一一年を経過した頃からはもはや、事故前の収入と対比して減少はないものと推認するのが相当である。(因みに記するに、前記一応の推認を結局採用しない所以は、松倉製作所における収入自体は従前の収入に比してかなり低額であるが、その就職は臨時のものであつて、昭和四一年春以降現在までの原告大谷の身体条件に正確に適合した職場であるとは窺知されないから、前記差額を自して直ちに事故による受傷の後遺障害に基づく収入の減少とはいえないし、また鈴木医師の判定には、原告大谷本人の主訴をも多分に考慮したものであることが推知されるし、なお右判定自体抽象的一般的性格のものであるから、直ちにこれに拠り得ないものといわなければならない。)そこでこれら毎年の得べかりし稼働収入の減少額をホフマン式計算方法により、年毎に年五分の割合による中間利息を控除して基準日における現価を求めると、前者につき約七四〇、〇〇〇円、後者につき約四四〇、〇〇〇円の合計一、一八〇、〇〇〇円となる。(一万円未満切捨)

(二)  慰藉料

前認定のとおり、原告大谷が本件事故により身体各部にかなり重篤な傷害を蒙り、これが加療のため、約三九日間入院し、約一月にわたつて毎日通院し、さらに約一〇箇月半にわたつて隔日通院し、その後も歯牙の加療を要したものの、後遺障害を残すに至つたこと、安定していた職場を失い、容易に就職できなかつたこと、今後も後遺障害の回復のため忍耐と努力を余儀なくされるものと予想されること等諸般の事情を考慮すると、原告大谷の肉体的精神的苦痛を慰藉するには、八〇〇、〇〇〇円が相当である。(上記額の認定にあたつては原告大谷がかつて被告に対し慰藉料三〇〇、〇〇〇円の支払を請求したことも一箇の事情として考慮するが、精神的苦痛を金銭に評価するにあたつて、被害の迅速な回復を求めるに急なるあまり、被害者が往安易に低額を提示するものであることは、当裁判所に顕著な事実であるから、被害者の従前の提示額を過重視することは、合理的ではない。)

なお原告大谷ヨシ子もまた本訴において慰藉料を請求するがその夫である原告大谷が前認定の程度の傷害を蒙つた本件では、いまだ、近親者固有の慰藉料請求権が発生するものとは解されないから、原告大谷ヨシ子の右請求は棄却を免れない。

(三)  過失相殺と損害の一部弁済

請求原因四の事実は当事者間に争がなく、本件事故発生につき原告大谷にも前示過失があるところ、弁論の全趣旨によれば、被告はわが国有数の大企業であるのに、被告車の交通の安全に関する簡便な配意も怠つたためもあつて、本件事故の発生をみたものであるにも拘らず、損害額を過少に評価し、特に後遺障害および慰藉料に対する賠償交渉にあたつて、必ずしも充分な誠意を被瀝しなかつたことが認められるから、原告大谷に生じた損害のうち、医療費、附添費および通院費については、いわゆる過失相殺をすべきではなく、その余の逸失利益および慰藉料についてのみ、原告の過失を斟酌して、それらの損害額の約二割を控除するのが相当であり、さらに前者については既払の五七〇、〇〇〇円を差し引く(逸失利益は五七〇、〇〇〇円と一、一八〇、〇〇〇円の合計一、七五〇、〇〇〇円から、その約二割にあたる三五〇、〇〇〇円と五七〇、〇〇〇円を差し引く。慰藉料は八〇〇、〇〇〇円からその二割にあたる一六〇、〇〇〇円を差し引く。)と、本訴において原告大谷が請求しうる金額は、逸失利益分八三〇、〇〇〇円、慰藉料六四〇、〇〇〇円の合計一、四七〇、〇〇〇円となる。

(四)  弁護士費用

〔証拠略〕によれば、原告大谷は本件交通事故による損害賠償につき被告と交渉したが、被告において低額を主張し続けたので、原告代理人弁護士らに右交渉を依頼したが奏功しなかつたため、本訴の提起と追行方を委任し、その際手数料五〇〇、〇〇〇円を本判決言渡日に支払うことを約したことが認められる。右事実に前認容額および本訴の経過、事件の難易等を併考し、右のうち二〇〇、〇〇〇円は本訴の事故と相当因果関係に立つ損害と認める。

第三、結論

よつて被告は原告大谷に対し、前記第二の(三)の一、四七〇、〇〇〇円と(四)の二〇〇、〇〇〇円の合計一、六七〇、〇〇〇円およびうち前者に対する本件不法行為発生後の基準日である昭和四一年四月一四日から、後者に対する本判決言渡日から各支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるから、同原告の本訴請求は右の限度において正当として認容し、同原告のその余の請求および原告大谷ヨシ子の請求は、いずれも失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 薦田茂正)

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